デス・オーバチュア
第107話(エピローグ3)「全ては日常へと至る」





「……んっ……あっ……ああ……んっ!」
タナトスは寝苦しそうに寝返りを打った。
「ふふふっ……」
シーツの中を蠢くものが居る。
「ふふふっ、案外感じやすいんですね、タナ……」
「つぁっ!」
「うぷっ!?」
シーツの中を這い回っていたそれは、タナトスの再度の寝返りで押し潰された。



「う〜、酷いですよ。裏拳が後頭部にクリティカルヒットですよ。あんまりです……」
アンベルはベッドの横に、頭を痛そうに両手で抱えて蹲っていた。
『うっさいわね、あんたが勝手にリセットちゃんのタナトスのベッドの中に潜り込むからいけないんでしょう? 自業自得よ』
虹色に輝く髪と瞳を持つ意識体リセットは、わざわざ半透明な幽霊のような『姿』を見せて、アンベルの主張をこき下ろす。
「ええ〜、だってメイドたるもの、朝は御主人様のあれとかあれして、ご奉仕して起こすのが基本じゃないですか」
『どこの世界の基本よ!? このエロ偽メイド!』
「あは、偽は酷いですよ〜」
『エロの方は別にいいのか……?』
一週間ほどのつき合いになるが、リセットにはこのアンベルという機械人形の性格、真意がいまだに掴めなかった。
タナトスを嫌っている、侮蔑しているのかと思えば、やたら接触してきて構いたがるし……本心では何を考えているのかさっぱり解らない。
「でも、あれはいいんですか? 狡いですよ」
アンベルはベッドで眠っているタナトスを指差した。
タナトスの胸に顔を埋めるように、抱きつくように小さな子供が添い寝している。
『……まあ、一応お子様だしね……大目に見てあげるわよ……』
リセットは、いかにもやせ我慢しているといった感じで答えた。
「いいんですか、無理してそんな良識人ぶったこと言ってて? 見た目は子供、頭脳は大人!……かもしれませんよ」
『うっ!?』
「油断してると寝取られますよ。だから、その前に始末……いえ、お仕置きぐらいしておいた方が……うきゅっ!?」
突然、空から降ってきた巨大な白銀の十字架がアンベルを押し潰した。
『あんたの方がお仕置きされてちゃ世話ないわね……』
リセットがタナトスの眠っているベッドの方を振り返ると、寝ぼけた眼差しのお子様……ランチェスタがこっちに向かって小さな右手を伸ばしている。
しばらくすると、ランチェスタは再び赤い石榴石の瞳を閉ざし、タナトスの胸の中に顔を埋めて再び眠ってしまった。
『…………』
リセットはその様子を羨ましそうに指をくわえて見届ける。
『ふわぁ……そうね……こいつを縛り上げたら、リセットちゃんもタナトスの中でもう一眠りしましょう』
リセットは欠伸を噛み殺すと、十字架の下敷きになっているアンベルに近づいていった。



「ハァイ! 姉さん何してるネ? 新しい遊びネ?」
バーデュアは十字架に張り付けにされている姉に陽気に挨拶をした。
「……ふふふっ……これは放置プレイと言って……高度な大人の遊びなんですよ……」
時刻は、さっき昼食が終わったばかり。
タナトス達はとっくの昔に起き出して、この部屋には置き去りにされたアンベルしか残っていなかった。
「OH? もしかして、SMって奴ネ?」
「ふふふっ……そんなところですよ……」
「じゃあ、MEも手伝うネ! 確か、張り付けの姉さんを槍でチクチク刺したり、鞭でビシビシっと叩けばいいネ?」
「……あの、バーデュアちゃん……お姉ちゃん、痛いのも結構好きだけど……バーデュアちゃんにやられてもあんまり嬉しくは……」
「待ってるネ、姉さん! すぐに槍と鞭を持ってくるヨ!」
「あ、待っ……」
バーデュアはアンベルが止めるより速く、部屋から出ていってしまう。
「うう……失敗でした……素直にさっさと十字架から下ろしてと頼むべきでした……」
後悔先立たずを地でいくアンベルだった。




エラン・フェル・オーベルは面倒臭がりでも、怠け者でもない。
彼女より有能な者も、彼女より熱心に働いている者も、クリアには他にいなかった。
そんな彼女がいつも揺り椅子に座っているのは楽をするためではない。
彼女の足に障害が……不具があるためだった。
まったく歩けないわけではない。
部屋の前まで揺り椅子で移動し、部屋の中の椅子やベッドなどの座る場所まで歩くぐらいのことはできた。
でも、それが限界である。
長時間立ち続けていることも、走ることもできないのだ。
エランは自分の足の不具を代価だと思っている。
魔法という常人……殆どの人間が持っていない才能、機能を持っているのだから、その代償として常人誰もが当たり前に持っている機能が一つぐらい欠落しているのは寧ろ、バランスが取れているようにさえ思えた。
知恵を得るために、片目を差し出した神の神話があるように、何かを……特に力や才能を得るためには何かを犠牲にしなければならないのかもしれない。
もっとも、その理屈、法則が正しいのなら、高位の魔族や神族はあれだけの巨大な力を持つためにいったい何を犠牲にしているというのか?
対価……犠牲を求められるのは人間だけだとでもいうのか……?
考えても答えなど出るはずのないことだが、時々、エランはそんなことを考える。
等価を払わされた者……常人に無いものを背負い、常人にあるはずのものを失って、生まれてきた者としては、思わずにいられないことだった。
「ああ、その疑問の答えは簡単だ。『神様』ってのは意地悪なんだよ。きっと、リンネみたいに意地悪で悪趣味なんだろうさ」
高次元の中の高次元、最高位の魔属の存在である青年はエランの長年の疑問に、軽い調子であっさりとそう答える。
「リンネ様みたい? どういう意味でしょうか、ルーファス様?」
「ふん、別にたいしたことじゃないさ」
ルーファスは服の前をはだけさせたラフな格好でソファーにだらしなくもたれかかっていた。
ここはクリアの王宮の一室。
珍しく王宮に顔を見せたルーファスは、おそらく来城した目的であったと思われる、女王と私室で密談をした後、エランが小休止していたこの部屋に姿を現した。
そして、そのまま何をするわけでもなく、ここでだらけているのである。
「以前、リンネの奴が言ったことがあるんだよ。欠点や弱点がない主人公は魅力的ではないってな。圧倒的、絶対的、完璧、最強……そんな人物の人生は『物語』にならない、見ててつまらないってな」
「…………」
「もしお前らの言うところの神様って奴が居るなら、お前ら人間の生き様を眺めて楽しむために、わざとお前らを不完全に創ったんだろうさ。何かが優れている奴は、その分何かが欠落している……てな具合にな」
「……なるほど、そういう見方……考え方もありますか」
それは人間から見たら神様に等しい、高次な存在ならではの見解だった。
「まあ、つまりだ。時とか運命の女神って奴は基本的にとことん意地悪で冷笑的で無慈悲……最悪に質が悪い奴ばっかなんだよ、リンネに限らずな……お前らの神様もそんな奴なんだろうさ」
ルーファスはワインをボトルのまま飲み干す。
「ミもフタもない飲み方ですね。極東酒ならまだしも……そんな乱暴な飲み方をされてはワインが可哀想ですよ」
ボトルのラベルから察するに、かなりの年代物、高級なワインのようだった。
「フン、そうだな、確かにワインってのはワイングラスを揺らしながら気取って呑むもんだよな」
ルーファスは、ミもフタもない発言で応える。
「お前なんかは凄く似合いそうだよな、ワイングラスを揺らすのも、猫を膝に乗せるのも」
ルーファスはクククッと意地悪く笑った。
その意地悪げな笑みすらとても魅力的であり、絵になりそうなほど彼にはよく似合っている。
「どちらも家ではよくしている行為ですが、それが何か?」
エランはさらりと答えた。
エランにはルーファスの魅力は通用しない。
魔王や魔皇といった人外の極限の存在の魅力や美貌が相手でも、彼女の心が魅了されることは、奪われることはない、彼女はどこまでもドライでクールな女なのだ。
どれだけ魅力的だろうが、その魅力が理解できない、興味がない者には無価値なのである。
エランは、異性に限らず、他者に興味を持つということが滅多になかった。
数少ない例外は、主君である女王と友人であるクロスぐらい。
女王は尊敬できると思えたし、クロスは面白いと思えた。
基本的にエランという人間は他者に興味がないのである。
彼女にとってもっとも興味があるのは、自分の策謀……計画、アイディア等が成功するか、失敗するかということだった。
「……で、私などの相手をしてまで暇を潰されているのは……それ程、家に帰りたくない……タナトス様に会いたくないということですか?」
自分には関係ない、どうでもいいこと、といった感じでエランは唐突にそんなことを言い出す。
「……お前、とことん可愛げのない女だな……」
「よく言われます」
ルーファスは、クリアの誇る冷徹な宰相の顔を見つめた。
冷徹というか、ここまで無感情、無反応だと面白くない。
クロスなどはうるさいほど、鬱陶しいほど過剰に反応するし、タナトスも無表情や無感情に一見見えて実はかなり激しくて、複雑な気性をしており……あの姉妹はからかうと最高に面白いのだ。
目の前のこの少女と違って……。
「流石に俺でも、お前は嫌だな、マニアックすぎるというか、面倒臭すぎる……」
「恐悦至極です。あなたに愛される苦労は味わいたくありませんので」
「はっ、言ってくれる……恐れを知らない奴だ……まあ、確かにある意味ではお前も面白いし、魅力的な女だよ、俺はごめんだがな」
ルーファスは苦笑を浮かべた。
この少女の本質を知りながら彼女に惚れる男が居るなら、そいつは余程のマニアックであり、物好きである。
「……その上、マゾだな……」
「はい?」
こんな冷たく厳しく、遠慮の欠片も、愛想の欠片もない少女がいいと言うのだ、それはもうマゾヒズム……物好きを通り越して、異常な趣味趣向の領域だった。



その物好きは、遙か北方のガルディアの地に居た。
「……ザヴェーラ様?……どうされました?……お風邪ですか……?」
オーニックスは突然、くしゃみをした主人に心配げに尋ねる。
「んんっ……愚かなことを……不生不滅の存在である余が病になどかかるわけがあるまい」
ザヴェーラはそう言い切ると、玉座に座り直した。
ここは彼の配下以外に知る者もいない、彼のためだけの闇の魔城。
ガルディアに戻ってきた彼は、この城でしばしの休息を取りながら、今後の自分の行動を考えていた。
「そういえば……貴様の姉や妹……他の人形はクリア国に仕えているのだったな?」
「……はい、この前、妹のファーシュから……手紙が来ました……ハイオールド家にお仕えしていると……とても毎日楽しいと……」
オーニックスにしてはかなり口数が多い。
それは、いつもの短い言い捨てな喋り方だと流石に主人に失礼だと思っているからであり、同時に話している内容が彼女にとって楽しいことだったからだ。
「そうか……」
と言いながら、ザヴェーラの脳裏に浮かんだのはオーニックスの姉妹機である人形達の顔ではない。
クリア国の宰相にして宮廷魔術師である少女の姿だった。
あの少女は実に良い。
自分を前にして欠片も気後れしない堂々とした態度、凛々しく冷たい眼差し、冷徹に思える程の冷静さ、全てが気に入った。
だからこそ、打算以上に、クリアに手を貸したのである。
あの少女を気に入ったからこそ、恩を売っておく気になったのだ。
「生前だったら、求婚していたな」
「……ザヴェーラ様……?」
「何でもない。ただの独り言、戯れ言だ」
容姿も悪くない。
清らかな青さと、魔性の禍々しき紫が混じったかのような藍青色の髪と瞳の輝きも、暗き闇である自分の傍に置くことで良く映えるに違いなかった。
あの冷たいまでに落ち着き払った少女が、自分の前だけ、熱く乱れる姿を想像すると微かな興奮さえ覚える。
「フッ……」
ザヴェーラは楽しげに己を嘲笑った。
こんな感情がまだ自分に残っているとは思わなかった、闇の神剣の力で蘇った際にそういった人間的な感情は全て消え去ったと思っていたのに……。
「いずれまた、会いに行くのも一興かもしれんな」
少女に対する想いに一つの結論を付けると、ザヴェーラは本来しなければいけない、今後についての思索に戻った。



「そういえば、今日はアンベル姉さんを見かけませんね?」
夕食の席、ファーシュが不意に思い出したかのように呟いた。
「あ……もしかして……まだあのままなのか……?」
自分を襲おうとしたというので、お仕置きを兼ねて、リセットの言うとおり今朝はあのまま放置してきたが、流石にいまだにあのままかと思うと少し可哀想に思えてくる。
「HAHAHAHAHAHA! 心配無用ネ! MEがちゃんと姉さんとプレイしてきたヨ! とても楽しんで貰えたネ!」
「……プレイ?」
バーデュアが何を言っているのか、タナトスには謎だった。
「お腹空いたですの〜」
トテトテとフローラが食堂に入ってくる。
「遅かったわね、フローラ。今日のメニューが鍋物だったら、あなたの食事はもう残ってないところだったわよ」
「フローラはお姉様ほど飢えてないですの。ちょっとお部屋で用が……ああ、ついでにタナトスお姉様の部屋で……」
「ふふふっ……」
フローラの背後から桜色のローブが姿を現した。
「あれ、アンベル姉さん、もう放置プレイはやめネ?」
「……フローラ様が外してくれなかったら……丸一日食事抜きで放置されるところでしたよ……」
「HAHAHAHAHA! 早く来ないと、姉さんの分も食べ……」
ビシッ!という音がバーデュアの声を遮る。
「What!?」
バーデュアの右手にあったはずのフォークが消えていた。
「……散々、お姉ちゃんを刺したり、叩いた上に、再度放置プレイとは……お姉ちゃん、バーデュアちゃんを侮っていましたよ……」
アンベルの右手にはいつのまにか漆黒の皮の鞭が握られている。
「HAHAHA! お礼はノーセンキューね。妹として当然のことをしたまでヨ!」
「……でも……でもですね……」
「What?」
「バーデュアちゃんの鞭は……へたくそだったから全然気持ち良くなかったんですよ!」
鞭の振るわれる音と共に、バーデュアの座っていた椅子の足が全て破壊され、バーデュアは床に転がされた。
「優しい〜優しい〜お姉ちゃんが教えてあげますよ……正しい鞭の使い方をねっ!」
バーデュアの周囲の床が無数に弾けたかと思うと、鞭が振るわれる音が遅れて聞こえてきた。
「NOOOOOOOOOOOOっ! ノーセンキューよ、姉さん! MEはアブノーマルな姉さんと違って叩かれても痛いだけで嬉しくないヨ!」
バーデュアは床に腰をつけたまま必死に後退る。
「大丈夫ですよ、お姉ちゃんはバーデュアちゃんと違って上手ですから、ちゃんと気持ち良くしてあげます」
フードから覗くアンベルの口元がとても楽しげに歪んだ。
「NO!? NO!」
アンベルはゆっくりとバーデュアとの距離を縮めていく。
「その身に刻んであげますよ、甘美なる死の快感をっ!」
「NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOっ!?」
バーデュアの断末魔のような悲鳴が響き渡った。



アンベル達、三人の機械人形が加わった騒がしい生活が、いつのまにか当たり前のものに……当たり前の日常になっていく。
「…………」
ファントムとの最終決戦、ブラックの大地が消えた日から、もうすぐ二週間が経とうとしていた。
「……なのに……ルーファスとまだ何も話していない……」
クリアに帰ってくるなり、仕事場である山頂の庵に籠もって、今日まで何の音沙汰も無し。
「……いや、本当は解っている……」
どうしても話したいなら、自分の方から会いに行けばいいのだ。
けれど、それができない。
とりあえず、身の回りが落ち着いてからとか言い訳して……今日までズルズルと月日が流れてしまった。
「……明日……明日こそ会いに行こう……」
そう言って眠りについたのは今夜で何度目か?
「……嘘吐きが……全部話すって言ったくせに……」
自分の方から聞かなければ、聞きに来なければ……何も話さないつもりなのだろうか?
「……聞かなければ……ずっとこのままの関係……」
が続くのだろうか? 
もしかして、自分は無意識にそれを望んでいて……だから、真実を聞きたくない?
「そんなはずはない! 全てをはっきりさせなければ……」
先へは進めないのだ。
こんな宙に浮いたままの想いでは、関係ではいけない。
「……明日は……絶対に問い詰める……」
そう呟きながら、タナトスは眠りについた。
























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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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